日曜日, 11月 01, 2009

神は妄想である
一神教 vs 現人神

生物学者であるリチャード・ドーキンスは神の存在を完全に否定したというか、利己的な遺伝子の視点から進化論をよりわかりやすく説明し宗教、とりわけ一神教は社会にとって有害と結論づけているのだ。心の安らぎや道徳感についても宗教の役割を全否定しているわけではないがその貢献度には疑問をなげかけている。

信じる側は宗教を常に善や愛や道徳と結びつけ神を信じないことが不道徳・悪と決めつけることによって立場を正当化したがる傾向がある。彼らは決まって無神教の人々に対しスターリンやヒトラー・毛沢東を引き合い出し残虐や不道徳と決めつける。宗教はそもそも自己防御するに長けた道具なのかもしれない。

私たちの多くは正月には神社に参り葬式では坊さんの世話になるという習慣があり神道と仏教を上手に使い分けている。そこに何の矛盾も感じていない。彼らは取り立てて信仰心を強要することもなく儀式を執り行うビジネスとして既に割り切っている。そうであるから私たちは宗教を有害視していない。一神教を有害とするドーキンスとの違いはそこにあるというか多神教が特殊かもしれない。(主語である【私たち】の母集団を定義づけはしていないがしいて言えば平均的な・常識的な多神教の民)

だが、一神教(3大宗教)はいずれも使命感が強く排他的、それが戦いの根源になっているのは明白である。一神教は人々を強くマインドコントロールし自分達を守る為に最後まで戦うことを強いるのである。彼らにとっての戦いはいつも聖戦(ジハード)であり戦死は殉教だ。イスラム側だけではなくキリスト側もその点で変わりはない。だから、戦争は終わらない。戦争が好きというよりも生活に組み込まれれているに近い。

然るに日本人も前の戦争では天皇を現人神と祭り上げ戦った経験を持つ。学校では「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」と教えられていたのだ。敗戦によって強制的にそのマインドコントロールが解かれたのである。今や天皇を現人神と祭る人はだれもいまい。もし、急に今日から「天皇は現人神」と定められたら「マー君 神の子」どころではなく戸惑う。個人的に天皇の暖かいお人柄に尊敬の念はいだいているにしてもご外見からして神には見えない。愛国主義と宗教は別?いや・・・・

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