映画のタイトル「2012」 マヤ暦が2012年12月21日で終わっていることから人類最期の日、何か起こるのでは・・・世界に認知されているその年「2012」をタイトルに映画を作り・・・、そういえば昔「ノストラダムスの大予言」という日本映画もあった。
終末論は宗教の定番である。各宗教で意味合いは多少異なるも「終りが来る」と予言し不安を煽れば人はだれでも神に縋りたくなる。科学が発達したといってもココロのメカニズムはそんなには変わらない。だから宗教が存在し続ける。存在の手段がマインドコントロールであり不安や脅しは効果的な手段だ。
丁度今「エホバの証人」が勧誘にやってきた。普通のおばさんが二人、勧誘の説明を聞くと長くなりそうなので小冊子だけ受け取り丁重にお断りした。エホバは1880年ごろアメリカ人チャールズラッセルが設立したキリスト派生の異端である。日本ではものみの塔として知られているが聖書とは異なる新世界訳聖書を使用している。以前、エホバの患者が輸血拒否で物議をかもした記憶もある。このエホバもハルマゲドン(終末)を好んで使っていたようだ。
その宗教がインチキかどうかを問うことにはあまり意味はない。リチャード・ドーキンス曰く神は科学的に存在しない。神が存在するかしないかに関わらずすべての宗教(一神教と限定はせず)は創られたビジネス(広い意味での)である。教会も聖書もすべて人々をマインドコントロールする為の設備であり手段である。インチキであっても長続きできるのはそこに練り上げられたマインドコントロールノウハウがあるからである。
マヤ暦・アステカ暦についてはこのビデオが参考になる。⇒⇒⇒ビデオ
映画「2012」、映像迫力はあるもののストーリーはいつものパターン・・・・
日曜日, 11月 29, 2009
土曜日, 11月 14, 2009
民主 小沢幹事長 一神教を斬る
****11月10日23時33分配信 読売新聞****
民主党の小沢幹事長は10日、和歌山県高野町の高野山・金剛峯寺を訪ね、102の宗教団体が加盟する「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した。
小沢氏は会談後、記者団に、会談でのやりとりについて、「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。小沢氏は記者団に、「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」とも語った。
**********
小沢さんの発言は多分に幹事長としての政治的セールストークであろうが発言は強ち間違ってはない。キリスト教信者の中にはこの発言にクレームをつけたい人もいるだろう。しかし、今起こっている戦争や紛争は殆どが宗教ガ絡んでいる。民族紛争も根っこには宗教的な利害がある。世界平和という視点では核廃絶よりも宗教撤廃(宗教棄却または政治からの排除)の方がはるかに容易且効果的ではないだろうか。(やり方・プロセス次第であるが)
そもそも子供時代に普通に科学を学び宗教的教育(マインドコントロール)がなければ進化論 vs 創造論なんて議論は起こらない、イスラム VS キリストという忌まわしい対立構造も生まれてこないはずだ。お互いのリーダーと国民がマインドコントロールから解き放たれない限りそこに和平は訪れない。
争いごとへの投下資本からは得られるものは少ない。イラン・アフガンでの死者数は既に広島・長崎の死者数を越えているともいわれている。宗教的マインドコントロール(排除志向)がなければここまではできないはずだ。もし、小沢さんが選挙目当てでないこのメッセージを自信と勇気を持って世界に発信すれば日本の存在価値をそれなりに高めることはできるはずだ。この発言の後にキリスト教に対し政治的謝罪でもすれば「やっぱりか」ということになるが・・・
民主党の小沢幹事長は10日、和歌山県高野町の高野山・金剛峯寺を訪ね、102の宗教団体が加盟する「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した。
小沢氏は会談後、記者団に、会談でのやりとりについて、「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。小沢氏は記者団に、「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」とも語った。
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小沢さんの発言は多分に幹事長としての政治的セールストークであろうが発言は強ち間違ってはない。キリスト教信者の中にはこの発言にクレームをつけたい人もいるだろう。しかし、今起こっている戦争や紛争は殆どが宗教ガ絡んでいる。民族紛争も根っこには宗教的な利害がある。世界平和という視点では核廃絶よりも宗教撤廃(宗教棄却または政治からの排除)の方がはるかに容易且効果的ではないだろうか。(やり方・プロセス次第であるが)
そもそも子供時代に普通に科学を学び宗教的教育(マインドコントロール)がなければ進化論 vs 創造論なんて議論は起こらない、イスラム VS キリストという忌まわしい対立構造も生まれてこないはずだ。お互いのリーダーと国民がマインドコントロールから解き放たれない限りそこに和平は訪れない。
争いごとへの投下資本からは得られるものは少ない。イラン・アフガンでの死者数は既に広島・長崎の死者数を越えているともいわれている。宗教的マインドコントロール(排除志向)がなければここまではできないはずだ。もし、小沢さんが選挙目当てでないこのメッセージを自信と勇気を持って世界に発信すれば日本の存在価値をそれなりに高めることはできるはずだ。この発言の後にキリスト教に対し政治的謝罪でもすれば「やっぱりか」ということになるが・・・
日曜日, 11月 01, 2009
神は妄想である
一神教 vs 現人神
生物学者であるリチャード・ドーキンスは神の存在を完全に否定したというか、利己的な遺伝子の視点から進化論をよりわかりやすく説明し宗教、とりわけ一神教は社会にとって有害と結論づけているのだ。心の安らぎや道徳感についても宗教の役割を全否定しているわけではないがその貢献度には疑問をなげかけている。
信じる側は宗教を常に善や愛や道徳と結びつけ神を信じないことが不道徳・悪と決めつけることによって立場を正当化したがる傾向がある。彼らは決まって無神教の人々に対しスターリンやヒトラー・毛沢東を引き合い出し残虐や不道徳と決めつける。宗教はそもそも自己防御するに長けた道具なのかもしれない。
私たちの多くは正月には神社に参り葬式では坊さんの世話になるという習慣があり神道と仏教を上手に使い分けている。そこに何の矛盾も感じていない。彼らは取り立てて信仰心を強要することもなく儀式を執り行うビジネスとして既に割り切っている。そうであるから私たちは宗教を有害視していない。一神教を有害とするドーキンスとの違いはそこにあるというか多神教が特殊かもしれない。(主語である【私たち】の母集団を定義づけはしていないがしいて言えば平均的な・常識的な多神教の民)
だが、一神教(3大宗教)はいずれも使命感が強く排他的、それが戦いの根源になっているのは明白である。一神教は人々を強くマインドコントロールし自分達を守る為に最後まで戦うことを強いるのである。彼らにとっての戦いはいつも聖戦(ジハード)であり戦死は殉教だ。イスラム側だけではなくキリスト側もその点で変わりはない。だから、戦争は終わらない。戦争が好きというよりも生活に組み込まれれているに近い。
然るに日本人も前の戦争では天皇を現人神と祭り上げ戦った経験を持つ。学校では「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」と教えられていたのだ。敗戦によって強制的にそのマインドコントロールが解かれたのである。今や天皇を現人神と祭る人はだれもいまい。もし、急に今日から「天皇は現人神」と定められたら「マー君 神の子」どころではなく戸惑う。個人的に天皇の暖かいお人柄に尊敬の念はいだいているにしてもご外見からして神には見えない。愛国主義と宗教は別?いや・・・・
信じる側は宗教を常に善や愛や道徳と結びつけ神を信じないことが不道徳・悪と決めつけることによって立場を正当化したがる傾向がある。彼らは決まって無神教の人々に対しスターリンやヒトラー・毛沢東を引き合い出し残虐や不道徳と決めつける。宗教はそもそも自己防御するに長けた道具なのかもしれない。
私たちの多くは正月には神社に参り葬式では坊さんの世話になるという習慣があり神道と仏教を上手に使い分けている。そこに何の矛盾も感じていない。彼らは取り立てて信仰心を強要することもなく儀式を執り行うビジネスとして既に割り切っている。そうであるから私たちは宗教を有害視していない。一神教を有害とするドーキンスとの違いはそこにあるというか多神教が特殊かもしれない。(主語である【私たち】の母集団を定義づけはしていないがしいて言えば平均的な・常識的な多神教の民)
だが、一神教(3大宗教)はいずれも使命感が強く排他的、それが戦いの根源になっているのは明白である。一神教は人々を強くマインドコントロールし自分達を守る為に最後まで戦うことを強いるのである。彼らにとっての戦いはいつも聖戦(ジハード)であり戦死は殉教だ。イスラム側だけではなくキリスト側もその点で変わりはない。だから、戦争は終わらない。戦争が好きというよりも生活に組み込まれれているに近い。
然るに日本人も前の戦争では天皇を現人神と祭り上げ戦った経験を持つ。学校では「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」と教えられていたのだ。敗戦によって強制的にそのマインドコントロールが解かれたのである。今や天皇を現人神と祭る人はだれもいまい。もし、急に今日から「天皇は現人神」と定められたら「マー君 神の子」どころではなく戸惑う。個人的に天皇の暖かいお人柄に尊敬の念はいだいているにしてもご外見からして神には見えない。愛国主義と宗教は別?いや・・・・
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